ときめいて120

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国道は何号線まであるの⁉最長と最短の長さと場所に歴史も知りたし

ドライブの計画を立てて、カーナビやスマホを見ながら目的地に向かっていますと

皆さんは、「ふっと、国道は何号線まであるんだろう」と思ったことはありませんか。

 

私は、頭にこの疑問が浮かんできました。子供の夏休みの自由研究にもなりそうな疑問が・・・。

 

ついでに、最長と最短の国道の長さと場所、国道の歴史についても学んでみることにしました。

 国道とは

全国の幹線道路網を構成する道路として道路法にもとづき国が政令で指定するもので、現在は一般国道と高速自動車国道との総称です。

 

一般に国道と言えば、一般国道を指します。

 

国道は何号線まであるの

一般国道は路線番号により現在、507号線まであります。実在するのは459路線です。但し、歴史的経緯により59~100号、109~111号、214~216号の48路線が欠番になっています。

 

歴史的経緯とは

1952年(昭和27年)6月公布の道路法で、1号から57号の一級国道と101号から271号の二級国道に分けて番号を付けるようになりました。 

1963年(昭和38年)の路線の統合と変更。

1964年(昭和39年)7月の道路法改正で区分が廃止となり、一般国道に統一され以後、新設する一般国道は3桁の番号を指定することになったため、欠番が生まれることに。

58号(鹿児島市から那覇市)のみ、1972年(昭和47年)5月の沖縄の日本復帰の特例として復活しました。

 

 

最長と最短の長さと場所

距離が最も長い国道(陸上区間)は

国道4号、東京都中央区日本橋から青森県青森市までの間の742.3 km。

 

距離が最も長い国道(海上区間)は

国道58号、鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市までの877.9 km。このうち、海上区間は約70%にあたる613.1 km。

 

距離が最も短い国道(陸上区間)は

国道174号、神戸港から国道2号間の187.1km。

 

幅が最も広い区間

国道357号東京都品川区八潮から大田区東海に至る区間の幅100 m。

 

幅が最も狭い区間

国道339号の、青森県弘前市から東津軽郡外ヶ浜町に至る区間です。

公式の記録は無く、実質的には階段国道下の路地区間であるといわれています。

 

国道の歴史

国道の原型は、東京日本橋を起点とした、江戸時代の東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道ですね。

明治の頃は、一等国道、二等国道、三等国道の3種の等級に分けられ、幅員は各七間(約12.7 m)、六間(約10.9 m)、五間(約9.1 m)と定められました。

一等国道は、東京日本橋から横浜、大阪、神戸、長崎、新潟、函館の6港を結び、二等国道は東京日本橋から伊勢神宮と、東京、大阪、京都の各府、陸軍司令部のあった各鎮台を結び三等国道は東京日本橋から各県庁所在地、各府と各鎮台を結ぶといった具合でした。

 

大正の頃は、

1つ、東京市ヨリ神宮、府県庁所在地、師団軍司令部所在地、鎮守府所在地又ハ枢要ナ開港ニ達スル路線

2つ、主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線

の2種類に区分され道路整備がすすめられました。

 

終戦までの昭和の頃は、

全国的な自動車道路網、いわゆる「弾丸道路」とよばれる高速道路の整備計画策定を開始しています。軍事優先の道路改良計画がすすめられました。

 

戦後の昭和の頃は、

国道、都道府県道と市町村道3種類に分けられ、高速道路関連の国道の法律が次々と制定され、1964年(昭和39年)の東京オリンピックにむけて、急速に道路整備がすすめられていきます。

 

 

まとめ

国道に付された番号は、すべてが順番に並んで存在しているわけではなかったのですね。その時々の時代に合わせて計画が変わってきたためですね。

最長の国道4号は、明治時代の函館港の開港の合わせて造られた一等国道の名残りでしょか。

道路の歴史をみると、いつの世も、産業や経済効果優先で道路整備も進められてきたことがよくわかります。

 

 

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。