ときめいて120

日々ときめくことを探して綴る!生涯120才目指して

松永久秀の茶器とともに爆死で最後を遂げたのは本当か

大河ドラマ「麒麟がくる」で「松永久秀」の爆死シーンがあるや無しやとネットで話題ですね。私は、ふと浮かんだのが「松永久秀」って誰だ!ということでした。松永弾正の名は聞きなれていましたが。同一人物なのか?歴史をたどって「松永久秀」の最後は、「平蜘蛛の茶釜を抱えて爆死する!」というのは本当なのか、その歴史の謎に迫ってみたいと思います。

 

 

松永久秀の最後ー爆死の謎

「平蜘蛛の茶釜とともに爆発する最期」というのは史実ではなく、『川角太閤記(1615~1624)に書かれているもので、後世に面白おかしく伝えるための作り話だとするのが通説のようです。

 松永久秀が、「この平蜘蛛の茶釜とわしの白髪首だけは、信長にはやれぬ」と言って、信貴山城で籠城の際に、茶釜を抱えて壮絶に爆死したという話は、同時代史料からは確認することが出来ません。

 

『信長公記』巻十には、

「久秀は天守に火を放ち、焼死した。」とありますので、普通に切腹し、そのまま焼け死んだものと思われます。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11174640811

 

※『川角太閤記 - Wikipedia』(かわすみ たいこうき)

 全五巻あって、主な内容は本能寺の変から関ヶ原の戦いまでの、同時代の人物の述懐が収録されています。

※『信長公記(しんちょうこうき)

全16巻あって、主な内容は戦国時代から安土桃山時代にかけての歴史資料で、織田信長一代記とも言われています。

 

 

平蜘蛛の茶釜の謎

平蜘蛛の茶釜はどうなったのか?

久秀が死ぬ前に、久秀と以前から交誼のあった柳生松吟庵(やぎゅうしょうぎんあん:七郎左衛門重厳。因幡守家厳の弟で、石舟斎宗厳の叔父にあたる人物)に譲られていました。

柳生家の家譜である『玉栄拾遺』には、以下のような記述があります。

「同(天正五年)十月十日久秀秘蔵スル所平(蜘)蛛ト云茶ノ湯釜ヲ打壊、糠ニ詰箱ニ入テ信忠ニ贈、其後野々宮囃子ヲナシ、火宅ノ門ヲ出ルト云時、城ニ火ヲ懸自滅ス。久通ハ行方不明ト云云。

臣按、平蜘(蛛)ノ釜ハ久秀秘蔵スル所、信長所望アリ。久秀不献、此事ヨリ君臣不合タリ。

且柳生松吟庵ハ久秀平日断金ノ友タリ。故ニ実ノ平蜘(蛛)ハ此時竊ニ松吟庵エ贈。打壊所ハ贋物也ト云。松吟庵代々伝テ重器トス」

 

これは、松永久秀が死する前に柳生松吟庵(やぎゅうしょうぎんあん)という人物に譲っており爆死の際に道連れにしたとされる茶釜は、偽物であるとする説ですね。

 

他説では、信長の手に渡ったという説もあります。

静岡県浜松市西区舘山寺町の浜名湖舘山寺美術博物館には「平蜘蛛釜」と伝わる茶釜があり、その由来によれば、信貴山城跡を掘り起こした際にこの茶釜が出土しており、信長の手に渡り愛されたものだという。 

古天明平蜘蛛 - Wikipedia

 

 ※柳生家の家譜である『玉栄拾遺』(たまさかえしゅうい)の記述自体も伝承の域をでないといわれていますが・・・。       

 

 

 

松永弾正と同一人物なのか

官位を合わせた呼び名が「松永弾正」「松永弾正久秀」で、同一人物でした。

これで、スッキリ!。楽しくドラマ「麒麟がくる」を見られます。

 

ちなみに、「弾正」という言葉は、弾正(だんじょう)弾正台のこと。官名またその官員のことで、治安維持が主な仕事の場所ですね。

 

 

まとめ

歴史の謎を解き明かしていく学習もなかなか楽しいと感じました。

調べた結果では、「爆死」は作り話だということ。

名器といわれる「平蜘蛛の茶釜」も、死する前に柳生松吟庵(やぎゅうしょうぎんあん)という人物に譲っており、爆死の時の茶釜は偽物だという説が有力ではないかと思いました。

 

「爆死」を裏付ける当時の資料が見つかっていないこと、「信長公記」は今でも第1級の資料として扱われていることから「爆死」説はないと。

「平蜘蛛の茶釜」は、諸説あって、爆死の時の物は偽物なのか、柳生松吟庵という人物に渡っているのか、分かりませんでした。

 

ともあれ、ドラマ「麒麟がくる」では、「松永弾正久秀」の死のシーンは、是非とも豪快な「爆死シーン」を期待したいと思います。

ドラマ「麒麟がくる」の多くのファンが望んでいると思っていますので。

 

 

関連記事

「関ヶ原」は何県にあるの?場所と行き方に観光スポットも

松永久秀は実は忠義の人物!その名言と子孫のまとめ - ときめいて120

 

 

 

 

 

スポンサーリンク