ときめいて120

日々ときめき探して 120才目指す!

 本ブログではアフィリエイト広告を利用しています

ミャンマーの歴史を簡単に年表にまとめてみた

世界の進歩的な流れに逆行するようなミャンマー国での軍事クーデター。国の内外で批判が巻き起こっています。今後、どんな展開になるのか注視すべき国の一つですね。そこで今回は、ミャンマーの歴史をわかりやすく、年表にまとめてみました。2024年2月 更新

 

ミャンマーとはどんな国

・場所 

      ミャンマー連邦共和国地図

 

・面積    68万平方キロメートル(日本の約1.8倍)

・人口    5,141万人 2014年9月(ミャンマー入国管理・人口省発表)

・首都    ネーピードー

・民族    ビルマ族(約70%)、その他多くの少数民族

・言語    ミャンマー語

・宗教    仏教(90%)、キリスト教、イスラム教等

・政治体制  大統領制、共和制

・国家元首  ウィン・ミン大統領(2018年3月30日就任)

・国会    二院制

       上院(民族代表院) 定数224(選挙議席168、軍人代表議席56)

       下院(国民代表院) 定数440(選挙議席330、軍人代表議席110)

 

※出典:外務省データ

 

 

ミャンマーの歴史

民族間の内紛を繰り返しながら、イギリスの統治時代をへて

1886年 イギリス領インドの1つの州となる。

1937年 インドから独立。イギリス連邦の自治領になる。

1942年 アウンサン率いるビルマ義勇軍が日本軍とともにイギリス軍を駆逐。

1943年 ビルマを建国。

1945年 連合国勝利で、再びイギリス領に。

1947年 アウンサン暗殺。

1948年 イギリス連邦より独立

1962年 軍事クーデター(ネ・ウィン将軍 大統領に)

1974年 ビルマ連邦社会主義共和国憲法が制定(ネ・ウィン2期目大統領)

1988年 軍部が再度クーデター。再度ビルマ連邦へ改名。総選挙公約。

    数百の政党が結成。

    民主化指導者アウンサンスーチーらは国民民主連盟(NLD) を結成。

1989年 選挙前にアウンサンスーチーは自宅軟禁され、以降彼女は長期軟禁と

    解放の繰り返しを経験。

    6月、軍政側はミャンマー連邦へ国名を改名。

1990年 総選挙、NLDと民族政党が圧勝。

     軍政は選挙結果に基づく議会招集を拒否し、民主化勢力の弾圧を強化。

2000年 9月27日APF通信社の長井健司氏、反政府デモ取材中に射殺。

2007年 軍出身のテイン・セインが首相就任。軍政主導の政治体制の改革始まる。

2008年 新憲法案の国民投票が実施。可決され民主化へ

2011年 新憲法に基づく総選挙実施、可決。 

    3月議会でテイン・セインが大統領に。権限は新政府に移譲

2011年の民政移管後も、ミャンマー国軍は、連邦議会の4分の1の議席をあらかじめ割り当てられることや、同国で最も権力のある省庁を支配する権限を憲法で保障されることなどによって裏から政治権力を維持し続けた。ウィキ

 

2015年 民政復帰後初の総選挙。NLDが圧勝。

    ミャンマー連邦共和国憲法の規定と国軍の反対で、

    アウン・サン・スー・チーの大統領就任はならず、側近のテイン・チョーに。

2020年 11月総選挙。NLDが改選476議席の8割を超す396議席を獲得。

2021年 2月1日議会が開かれる日に、軍事クーデター勃発。

    「不正選挙が行われた」との理由で。

 

 

まとめ

ミャンマーは、旧名はビルマといわれていました。「ビルマの竪琴」という本や映画でお馴染みの人がおおいのではないかと思います。

簡単に歴史を調べてみましても、内紛や他国からの支配と干渉に見舞われてきた国なんだなぁ、と思いました。

こんな歴史が、長く軍政が続く土壌になっているのかも・・・。

歴史を見ると大きな流れとしては、民主的な国へ歩みを進めています。ミャンマー国民自身の力で、平和で住み良い国が作られることを願っています。

今後しばらく、世界とミャンマーの動きを注視していきましょう。

 

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました(感謝)

関連記事

「関ヶ原」は何県にあるの?場所と行き方に観光スポットも

本能寺の変その場所はどこでいつのはなしだ!分かるおすすめ本も紹介

イギリス王室の最近の王位継承順位と家系図はどうなってるのか調査!

 

 

スポンサーリンク